第四コーナーの深いカーブ。
蹄が抉り取った芝の青臭い匂いと、舞い上がる土塊が視界を遮る。
「私の特等席よ。誰の息遣いも、私の耳には届かないわ」
ロンギングセリーヌが、先頭の景色を独り占めにして直線を向く。
(息が苦しい……。でも、ここで譲ったらただの馬に戻ってしまう)
二番手のナックホワイトたちが内側から迫るが、一瞥もくれない。
「よーし!このまま押し切っちゃうからね!」
外側からアメティスタが、荒い息を吐きながら懸命に脚を伸ばす。
「ちょっと、耳障りよ。後ろで大人しく沈んでいなさい」
セリーヌが、横目で冷ややかに威嚇した。
「沈まないもん!苦しいけど、ここで踏ん張るのが私なんだ!」
「その泥臭い根性だけで、私の芸術的な走りに勝てると思ってるの?」
「芸術とかわかんないけど、絶対に最後まで諦めないからね!」
アメティスタは痛む脚を無理やり動かし、前傾姿勢で食らいつく。
(脚がパンパン……。負けたくない。でも、止まったらみんなに申し訳ないし……)
残り四〇〇メートル。
馬群が密集し、内側はもはや足の踏み場もない泥沼と化していた。
「……うわぁ、みんな必死。でも、これくらいやらなきゃ終われないよね」
スマートプリエールは、揉みくちゃになる内側を冷ややかに見つめる。
(馬場の悪い内側で争うなんて、本当にご苦労なことだよね)
進路を大外へ向け、誰の邪魔も入らないクリアな空間へと持ち出した。
「ちょっと!外からコソコソと、嫌らしい走り方ね!」
先頭で粘るセリーヌが、外に持ち出したプリエールの気配に毒づく。
「うわっ……。もう、相変わらず怖いなぁ。好きで隣にいるわけじゃないし」
「嘘よ。私のソロパートを邪魔して、楽しんでいるんでしょ」
「そんなことないってば!……あーあ、もう。これだから面倒くさい」
「何よ、その言い方!最後まで残れると思っているの!」
「……本気で勝ちたいから、一番いい場所を選んだだけだよ!」
プリエールが一気に加速しようとした、その刹那。
地鳴りのような重低音が、遥か後方から中山の空気を切り裂いた。
「おやおや、みんな楽しそうだねぇ!私も混ぜてよ!」
大外のさらに外、一二番手という絶望的な位置から、
イクシードが、物理法則を無視したような異次元のストライドで飛んできた。
(あはは!前が壁だねぇ。計算ミスかな?それとも嫌がらせ?)
壁など無い大外から、ごぼう抜きを開始する。
「……ッ!その余裕、鼻につくわ!」
セリーヌが奥歯を噛み締め、残り二〇〇メートルの急坂でさらに加速する。
(クビ差……?ふざけないで。そんな中途半端な結果、死んでもいらない)
「あはは、ごめんごめん!でも、これが現実なんだよね。……じゃあ、お先に!」
イクシードが笑いながら並びかけるが、わずかに坂の重みに脚が鈍る。
「ふんっ!その計算された涼しい顔、ここで歪ませてあげるわ!」
「最後は、一番綺麗な音を鳴らした馬が勝つ。……でしょ?」
イクシードは一切の焦りを見せず、完璧なフォームを維持し続ける。
その猛烈な追い上げの影で、もう一頭がひっそりと音を奏でていた。
「いいリズムです……。このまま、最高の旋律を奏でましょう」
カラペルソナが、イクシードの作った風の道をなぞるように伸びてくる。
(もっと低く、重い響きが必要でした。反省です)
「ちょっと、私のおこぼれで上がってくる気かい?」
イクシードが横目で牽制する。
「いえ、これは私自身のソウルです。中山の風は少し指使いを狂わせますね」
「生意気言うねぇ。配布された期待、それ以上に届くかな?」
「5着……。でも、今日響いた音は、次への力になります!」
カラペルソナは確かな手応えと共に、外側から馬群を飲み込んでいく。
残り五十メートル。
阿鼻叫喚の急坂を登り切り、全馬の肺が悲鳴を上げている。
「そして、次の直線の坂が、始まるのです」
プリエールが、全てを達観したような冷たい瞳で、鋭く馬体を沈めた。
(もう……なんで私がこんな泥を被らなきゃいけないの。最悪……)
「させない……!私こそが、特別なんだからぁッ!」
セリーヌが執念の粘りを見せるが、脚色は完全に限界を迎えていた。
「特別とかどうでもいいよ。なんだかんだで、最後は真ん中にいたいし」
プリエールが、先頭の景色を冷酷に奪い取る。
「うわー!また抜かれたぁ!私、あんなに頑張ったのに!」
アメティスタが悲鳴を上げる中、外からイクシードが猛然と迫る。
セリーヌ、イクシード、アメティスタ、カラペルソナ。
四頭が横一線になり、叩き合うようにゴール板へとなだれ込む。
一分四十八秒三。
乾いたゴール板の音が鳴り響き、残酷な着順が電光掲示板に灯る。
「(中山の坂って、誰が設計したの?性格悪すぎじゃない?)」
見事一着を勝ち取ったスマートプリエールは、荒い息を吐きながらも、
勝者のスポットライトを浴びて、やれやれと首を振った。
「あいつ……私のソロパートを邪魔した……。絶対に許さない」
二分の一馬身差の二着に敗れたロンギングセリーヌは、
悔し涙を堪えるように、鋭い視線で勝者を睨みつける。
「ハナ差かぁ。一番人気なんて、期待の押し売り。疲れるから嫌なんだよね」
三着のイクシードは、涼しい顔の裏で、ほんの少しだけ耳を伏せた。
春の生ぬるい風が、汗だくの乙女たちの熱気をゆっくりと冷ましていく。
かくして、泥と意地がぶつかり合った中山の狂騒曲は、
一人の「性格の悪い」実力派によって、静かに幕を下ろしたのだった。
【第二章完結】